ラップトップを手に闘った悲劇の革命家アーロン・スワーツ

久々に心動かされる映像作品をNetflixで観ました。
2013年に自殺という形で26年の短い生涯を終えたプログラマー、活動家であるアーロン・スワーツのドキュメンタリー『インターネットの申し子: 天才アーロン・シュウォルツの軌跡』です。
観ようと思ったきっかけはうめのんさんのブログの『IT業界の住人が好みそうなドキュメンタリーがNetflixにある |』という記事です。せっかくの連休なのに天気が悪く暇だったので観たのですが、もっと早く観ておきたかったと思える作品でした。

アーロン・スワーツについて

米国においてはオンライン海賊行為防止法案(SOPA)騒動の時などにITの専門家としてテレビにも出演していたほどの有名人であるアーロン・スワーツですが、日本ではあまり馴染みがないかもしれないので簡単に紹介しておきます。

1986年にイリノイ州ハイランドパークに3兄弟の長男として生まれ育った彼は、RSSの構想に関わり、スタンフォード大学を1年で退学したあとY Combinatorに採用され、そこでredditの共同経営者となります。また、Python界隈ではweb.pyというウェブアプリケーションフレームワークの開発者としても有名なようです。その後、連邦裁判所の訴訟情報公開システムPACERや、論文などをネットで配布する電子図書館JSTORを相手に不正を正そうとプログラミングを武器に闘い、晩年はSOPAに反対する運動を展開します。そんな中、FBIや検察、MITに目をつけられ執拗に捜査され、それに耐えきれなくなってしまったためか最後は自殺してその生涯を終えます。

神童時代

そのアーロンですが、作品の中で神童っぷりが語られています。

3兄弟とも好奇心の多い子どもだったようですが、その中でもアーロンは抜きん出て天才ぶりを発揮していました。
例えば3歳の時、父親に「無料の家族向けの娯楽って?」と聞くので何かと思ったら、冷蔵庫に貼ってあるポスターに書かれていることを読んでいたというのです。
また、同じく3歳の頃からコンピューターに熱中し、12歳の時には誰でも編集可能な情報提供サイトを作り上げます。それなんてWikipedia?と思ってしまいますが、アーロンはWikipediaが世に出る5年も前に12歳という年齢で同じアイデアを形にしていたのです。
そして、RSSの構想に関わり始めたのも若干13歳でした。

これらのエピソードを聞いて、本当の天才というのは存在するんだなと思わされました。

印象的だったのは、自殺から時が経っていないにも関わらず、彼の幼少期を語る時、両親や兄弟の目からは優しさが溢れていることです。短い生涯ですが、周りの人に対して強烈な閃光を残していったのだと思います。

枠に収まりきらなかった学生時代

そんな彼ですが、高校時代は押さえつける学校の教育に馴染めず、前述の通りスタンフォード大学も1年で退学してしまいます。常に物事を疑問の目で見て常識を疑っていた彼には、学校という枠は狭すぎたのでしょう。

活動家時代

redditの共同経営を経たのち、法外な値段を要求するうえ検索性も全く無い、連邦裁判所の訴訟情報公開システムPACERや、こちらも高額なライセンスを支払わないと論文などを閲覧できない電子図書館JSTORを相手に、プログラミングの技術を駆使して、それらの所有物を無償公開してしまおうという闘いを挑みます。このあたりの手段の是非などは作品をご覧になって皆さん自身で判断していただきたいですが、その行動の根底には「一部の人にだけ知識が渡る世の中を正しくするんだ」という強い正義感があったのだと思います。

その意味でアーロンは真の革命家だったのかもしれません。それも武器ではなくラップトップを手にとった現代の革命家です。

その最後

活動をするうえで、PACERの件ではFBI、JSTORの件では検察とMIT、SOPAの件では国家に目をつけられ捜査を受ける彼ですが、その強烈な正義感とは裏腹に、非常に繊細な人という印象を受けました。
例えば最初の職場では満足いく環境で働けずトイレに篭って泣き続けたり、FBIに捜査を受けていた際はずっと震えていたと明かしています。彼の弁護士もemotionally vulnerable(感情的に脆弱)と分析して気をつける必要があると検察に提出したそうです。
彼の正義が、巨大な組織を相手に精神的に耐えられず、結果的に自殺という形で屈することとなり、見ているだけで非常に悔しい思いを抱きました。

彼の残していったもの

僕はredditのヘビーユーザーです。多少の問題があるとはいえ、健全でユーモアにあふれた議論が成り立つredditという場所が大好きで、それを残してくれた功績だけで彼には感謝しきれないです。

これからも彼が残してくれたものを通して、僕はインターネットの世界に生きていこうと思います。この素晴らしくも腐った世界に残された最後の砦で、時代が彼に追いつくことを願いながら。